若干パラレルワールドです。
ウォルがもしも魔幻の鐘と同化して消えずに、ずっとあの小屋にいたら……? という設定で。
Vision of happiness!
その日は早朝から人々が忙しなく動き回っていた。何せ遠洋漁業から帰ってきた漁師達が、盛大に酒盛りをするのだ。帰港した漁船の周りには漁師の家族たちが群がり、夫や兄弟の無事を確かめて再会を喜びあっている。
ウルフガングはそれを微笑ましい気持ちで眺めていた。朝焼けの光に照らされた漁港は、幸せな家族の姿であふれている。見ていて自分も幸せな気持ちになった。
千年前に命を落とし、それからずっと世界を見守ってきた。時には愚かしい戦争や非情な犯罪行為に出くわすこともあったが、こうして幸せな光景を見ることが出来て、ウルフガングは素直に嬉しい。自分が作りたかった世界は、今のこの情景なのだとウルフガングは思う。
誰もが笑顔で暮らせるように、誰も闇に怯えたりしないように、ウルフガングは帝王と対決する決意をした。そうやって自分がしてきたことが無駄ではなかったのだと、こんな優しい光に満ちた光景を見るたびに思う。
「ウォルー!」
漁港の方から黒髪のひょろっとした少年がかけてくる。彼はスタンリーの息子のエドウィン=リンドバーグだ。
偉大な漁師である父を持ち、幼い頃から父の背中ばかり追っている健気で可愛い少年だとウルフガングは思う。
「ウォル、ただいま!」
十六歳のエディは、すらりと痩せた細長い身体に知的そうな顔つきの、父に似て頑固そうな子供だ。彼は頻繁に小屋を訪れてくれる、漁師町での数少ない話し相手である。
「おお、エディ。少し焼けたんじゃないのか」
「でしょ! ちょっとは海の男らしくなった?」
自慢げに力こぶを作って見せるエディだが、ウルフガングの目から見たらまだまだその腕は細くてひ弱そうだ。
遠洋漁業に出る前に比べたら少しは精悍さが増したが、それでもまだまだ彼は現代っ子にありがちな細身なのだ。
「もうちょっと食え。親父さんを目指すんなら今のお前はまだまだだぞ」
「えー。だって、ご飯食べてる暇があったら友達と遊ばなきゃ」
「ははは、まったく」
潮風に晒されて絡まりかけている黒髪を指で梳いてやりながら、ウルフガングは笑う。
エディは幽霊のウルフガングを幽霊だと思っていない節がある。時々思い出したように『そういえばウォルって幽霊だよね』なんて言われたことは数回どころではない。
「これからまた三ヵ月後に出て行くんだ。今度は二年帰ってこない」
「そうか。寂しくなるな」
「俺のこと忘れないでね?」
いくぶんか前にエディの一人称は僕から俺に変わっていた。三年前にクライドたちがこの港町に寄った頃はまだ僕だったと思うが、それから遠洋漁業に出て帰ってきたら何だか雰囲気ががらりと変わっていたのだ。
勇ましくなったというか甘えがなくなったというか、この小屋に来て弱音を吐くことも少なくなっている。以前はパパ、ママだった親の呼び方だって、いつのまにか父さんと母さんになっていた。
「エディ、お前は楽しいか? 漁業」
「うん、すっごく楽しい! なんていうか、上手く説明できないんだけどね。父さんはこんな風に、こういう視点で海を見てきたんだなって、一昨年わかったし」
言葉の節々に成長を感じるのが、ウルフガングの楽しみだった。彼が考えることは年々大人っぽくなっていて、だんだん自分の感性や考え方と同列になってきているのが面白いのだ。
自分の子供の成長は傍で見守ってやれなかったから、ウルフガングはこうしてエディの話を聞くのが大好きだった。こうしていれば、少しの間エディの親になったような気になれる。
「少しは親父さんの役に立てるようになったのか、エディ」
「えへへ、聞いてよウォル。こないだ初めて褒められた! 俺は糸を手繰るのが誰よりも速くて、しかも絶対に絡ませなかったんだ」
「進歩したじゃないか、前は怒られて泣いてたくせに」
「それは言わないで! 俺、ちょっとは強くなったよ」
よしよしと頭を撫でる。エディはくすぐったそうに笑った。そんなところはまだまだ子供らしい。
「ウォルもおいでよ、酒盛り。俺どうせ子供だから、オレンジジュースかジンジャーエールだけど」
「馬鹿、俺は幽霊だぞ。どうやって酒を飲むんだ」
「あっ。そういえばウォル幽霊だったね」
エディはくすくす笑った。ウルフガングも一緒に笑った。
「でも俺ひとりじゃ嫌なんだよ、だって酒のめないのって俺だけなんだ」
「良いじゃないか。今無理して酒を飲んで肝臓を潰しちまったら、漁師になる前に俺の仲間入りだろう?」
事実、エディはまだ年々背が伸び続けている。成長期の子供に過度なアルコールは悪影響だ。
「そうだ、あそこの廃船に棲みつくのはどうだ。まだ先客はいないぞ」
冗談めかして町外れの廃船置き場を指差して言ってみれば、エディはそちらを見てあからさまに嫌そうな反応をする。
「それはやだ! 絶対やだっ」
「何だ、俺が仲間じゃ不満ってことか」
わざと憮然としてみれば、エディは慌てだす。本当によく表情の変わる子供だ。
「そうじゃないよ! 俺、絶対漁師だから! 漁師になってから幽霊になるんだったら、幽霊船で漁に出るからいいんだけど」
「冗談だ」
「もう!」
声を上げて笑ってやれば、エディも仕方なさそうに笑い出す。すると、後ろの方から漁師達の呼ぶ声が聞こえた。
「エディ、遅い! とっととこないと刺身が全部なくなるぞ!」
「スーさんが機嫌悪くするぞ!」
声の主はジャックとジェシーだ。あの二人は確か幼馴染で、二人で漁師になるのが夢だったという。エディは二人に手を振って、今から行くというような言葉を叫んだ。
「じゃあ行くね、ウォル。ばいばい! また来るから」
「ああ、またな」
楽しそうに駆けていくエディの姿を見えなくなるまで見送って、ウルフガングは小屋の方を振り返る。かなりおんぼろだが、風格はある。
久々に屋根に上ってみることにして、軽く飛ぶ。幽霊に質量はないから、どこへでも飛びたいところへ飛べるのが良い。
屋根の上に腰を落ち着けると、海から上る太陽がまぶしかった。町は白金に染められ、海は眩いばかりに輝いている。
こんな光景は眠らないウルフガングなら毎朝見られるが、何度見ても美しいと思えるから不思議だ。
この地方の民謡を口ずさみながら、ウルフガングは音も立てずに屋根から飛び降りる。
「しかし、暇なもんだ」
暇だということは平和である証なのだから、喜ばしいことだ。しかし、退屈である。久々に出歩いてみようか。
魚市場に行けば、ウルフガングよりはるかに遅く幽霊になった人々がちらほら見えた。活気付いた場所には幽霊も集まりやすい。帽子を上げて会釈する猟師の幽霊に、ウルフガングは笑顔で手を振った。
「あ、ウォルじゃない」
歩いていると、黒髪の美人に声を掛けられた。幼い女の子の手を引きながら、彼女は幸せそうだった。
「おお。久々だな、ブリジット」
「本当ね、何ヶ月ぶりかしら。今日はどうしたの?」
「暇だったんだ」
こうして会話していれば、ブリジットを気味悪そうに見る人もいる。『見えない』人々はそうだ。稀に見えても気味悪がる人もいるが、千年間ずっとそうだったのでウルフガングはもう全く気にしていなかった。
「ママ、だあれ?」
「この人はね、ママのお友達よ。ウォルっていうの。言えるかしら」
「ウォル!」
可愛い。文句なしに可愛い。小さい子供は皆そうだ。純粋で素直で可愛らしい。ウルフガングは子供が大好きだから、微笑が浮かぶのを堪えられなかった。
「お前の娘か?」
「ええ、ティナっていうのよ。可愛いでしょう? 私とイノセントの両方に似ているの。ちょっとイノセント寄りかしら」
「ああ、最高に可愛い。ティナ、おじちゃんのこともう一回呼んでくれるか」
「ウォル!」
ウルフガングは満面の笑みを浮かべて、ティナのさらさらした金髪を撫でる。大きな瞳は水色だが、少し不思議な色合いだ。銀の色素がわずかに混ざっているのだろう。エルフのクォーターは千年過ごしてきた中でも見た事がなかったから、四分の一だけエルフの血を引いているティナはウルフガングからしてみても珍しかった。
「可愛いなあ! 母親に似て聡明だ。えらいなあ、よしよし」
「聡明なのはイノセントの方よ」
照れたように笑って、ブリジットはティナの頭を撫でる。ティナはくすぐったそうに笑い、それから何かに気づいたように手を振った。
「パパー!」
どうやら、遅い二人を心配した旦那が登場したらしい。振り返れば、相変わらず無表情なイノセントがティナとブリジットの姿を見つけて歩み寄ってくるところだった。
「何を話している」
「イノセント」
嬉しそうに彼の名を呼び、ブリジットは最上級の微笑みを浮かべる。対するイノセントは腑に落ちない様子で辺りをちらちらと見回していた。
「独り言にしてはジェスチャーがオーバーだったが」
怪訝そうにしているイノセントに、ブリジットはイタズラっぽい笑いを浮かべながら、足元に抱きついていたティナを抱き上げる。
「ウォルよ、イノセント。ティナにも見えるんですって」
「俺には魔力もなければ霊感もない。お前から遺伝したんだろうな」
イノセントは先ほどまでティナとブリジットが見ていた辺りをちらりと見やる。ウルフガングはもうそこにはいないから、彼が見ている場所には本当に何も無い。
「もう、イノセントったら。やきもちかしら?」
「意図的に見せることも可能だが、どうだ」
そう言って霊感のない人間にも見えるように自分を半実体化してみると、イノセントはウルフガングの登場に気づいて少し目を細めた。
「噂に聞くほど奇怪な男でもないな」
「こら、イノセント。初めましてでそれはないわ」
「ないわ!」
ブリジットの言葉を真似してイノセントを見上げる娘は可愛らしかった。イノセントは途端に雰囲気を柔らかくし、ブリジットに抱き上げられたティナの頬をふにふにとつつく。
「ティナもこのおじさんと話したのか」
嬉しそうに頷くティナを見ながら、ウルフガングは一緒に微笑んだ。
「名前を覚えてくれたぞ」
「そうか。娘が世話をかけた」
イノセントは誠実な男だ。過去の過ちをちゃんと反省し、崩壊を止めるのに大切な役目を果たしてくれた。
強く優しく誠実な夫妻のあいだに生まれたのだから、娘のティナもきっと二人の良いところを受け継いで賢く優しい女性に育つのだろう。
「じゃあな、ティナ」
手を振ってやると、ティナはいやいやをしてウルフガングの手を引っ張った。空疎な感覚に一瞬驚いたらしいが、それでもティナはウルフガングから離れようとしない。
「おじさんはオバケだから、一緒に来たら駄目だぞ」
そう言ってわざと怖がらせてみようと低い声で笑ってみるが、ティナは逆に面白がっている。呆れたようにイノセントがティナの手をとってウルフガングを離させてから、ブリジットに代わって抱き上げた。ティナは足をばたばたさせて嫌がっているが、イノセントは微動だにせずウルフガングに背を向けた。彼の肩に顎を乗せてふくれっ面をしているティナに手を振ってやると、ティナは再び暴れ出した。
「やだー! まだ遊ぶのー!」
「また今度な。行くぞ、二人とも」
「えーっ、だめ! 今がいい! まだウォルと遊ぶー!」
「だめよティナ、ご飯がまだじゃない。ウォルはまた遊んでくれるわよ」
「おう。また今度、一緒に遊ぼう」
とはいってもあまり目に見えるもので遊んではいけないと思う。ボールやフリスビーなどで駆け回って遊ぶ子供がこの港町では多いのだが、その子供の遊び相手が幽霊だと話が違ってくる。『見えない』人々からしたら、何もないところでボールが跳ね返ったり飛んできたりするなんて、ポルターガイストではないか。
「機会があればうちに来てもいい」
「ああ、嬉しいよ」
「いつでも歓迎するわ。それじゃあ、また会いましょう」
「……ウォル! ばいばーい!」
往来の激しい道の真ん中で、ウルフガングは一家を見送った。その姿が小さな点になるまで、ティナは手を振り続けていた。ウルフガングもずっと手を振っていてやった。
「さて…… もう少しだけなら、この街にいてもいいよな」
そろそろ時間がきているということはわかっている。鐘楼に封じ込めた帝王を無効化し、自分もろとも存在を抹消しなければ悲劇が繰り返されるかもしれないのだ。
「本当に、去るのが惜しくなるような世界だ」
築き上げられたものの大きさは計り知れない。優しい空気にあふれたこの世界から、まだ離れたくないと素直に思える。
ウルフガングは港の方角へと少し歩き、市場の喧騒を抜けてふわりと飛び上がった。重力を無視して民家の屋根に飛び上がり、カモメの飛び交う空を見上げてみる。今日も青い。
駆け出しても飛び上がっても風を感じる事ができないのが、少しだけ悔しかった。もう一度この世界で生きてみたいのに、『永久の彷徨い人』の自分に残された最後の道は、消滅のみだ。そう遠くない未来に、自分が消え去る日はやってくる。無に還り、役目を終える。
けれど、そのずっと後までこの幸せな光景が続いていたら良い。物事には必ず終りがくるが、そんなことなど意識させないくらいの幸福感で世界が満ちていれば、他に必要なことは何もないだろう。
ウルフガングは大きく伸びをし、空気に融けそうな両手を見つめる。
あと少しで限界がくるが、自分がいなくなった後にも街を守り続けてくれる人が現れたのだ。もう何も問題はない。
いつかこの世界が滅びる日まで、人々には笑っていてほしい。しみじみとそんなことを思いながら、ウルフガングはいつもの古びた小屋の屋根にたどり着いた。そして、そのままそこに腰を下ろす。
今日は水平線に太陽が落ちていく頃まで、こうして外にいよう。風を感じることも潮の匂いを嗅ぐこともできないが、それでも外にいれば愛すべき人間達の繰り広げる、それぞれの大事な物語を見届ける事ができる。
漁師町の喧騒を聞きながら青く遠くどこまでも広がる海を眺め、ウルフガングは少し微笑した。
END.
あとがき
キリリクっていうより魔幻アナザーストーリーみたいになりました。
本当にアナザー。アフターストーリーじゃないところがミソ。
ウォルはずいぶん前に旅立ってしまったはずだから、本当はありえないんだけど。ウォルがいることだけのぞけば、「魔幻の鐘、そして」みたいになる(笑
補足で年齢設定と時系列のおはなし。
ここで登場するエディが十六歳=アンソニーがその二個上なので十八歳=そしてクライドがその更に二個上、ということで二十歳。大人になっちゃいました。
魔幻はクライドが十七歳のときに終わってますので、あの完結から三年後ぐらいのお話になります。ティナは三歳。ブリジット・イノセント夫妻はともに二十六歳だったり。
らんぷ様、リクありがとうございました!!
ちょっと重めな話になっちゃいましたが、受け取っていただければ幸いです。
これからもnightmareをよろしくお願いします。
2009/01/30/ 水島佳頼