縁側
三寒四温の気候が続く、そんな三月のある日のこと。
一人で縁側に座って独酌しつつ、俺は梅の花を眺めていた。
庭の紅梅は美しく満開になり、桜の木にはすでにほころびかけたつぼみがいくつかある。
もう春なのだなと感じつつ、昼間から酒を飲む贅沢。こんなことも、休日だからできることだ。
平日は近所の子供達を屋敷に集めて学習塾を開いているから、こんな風にのんびりと過ごす時間は無い。
俺は昔は武士だったし、今でも刀は使えるが、今は武術よりもっぱら学術を大切にしている。
俺は武士としても半端者で、学問を修める人間としても半端者だ。
けれど近所づきあいだけは良いから、こうして学習塾を開かせてもらえている。
俺は二十五の時から、この広い屋敷に独りですんでいる。
父が俺に残した財産が、この馬鹿でかい屋敷なのだと母から聞いた。
母は二年前に病気で世を去ったが、文句のつけようもないぐらい優しく穏やかな良い母親だった。
現在の俺は実質的に、天涯孤独になっている。けれど、それを不満に思ってはいない。
失くすだけ失くしたから、あとはもう何も失う心配がないのだから。
「成安さん」
どこかから聞こえたのは、三月のこの昼下がりのように柔らかく暖かな声。
声の主は弥生といって、この月に十六になるのだという。
弥生はとなりの反物屋の娘で、美しさでこの城下町一を誇っている。だが、頭はあまり良くない。
ということで、俺が時々勉学を教えてやったりしているのだ。
幼い子供達と一緒に交じって勉強をするのは恥ずかしいだろうから、わざわざ時間をずらしてやったりしている。
弥生は優秀な生徒で、料理の腕も優秀だ。
勉強を教えてくれる礼だと言って、彼女は時々食事を作りにきてくれる。
なかなか弥生が現れないので、徳利から杯に酒を移す手を止めた。そして、声の主が何処にいるのか探す。
弥生はあでやかな薄桃色の着物に身を包み、垣根の向こうからこちらに袖を振っていた。
様子からすると、彼女は新しい着物を俺に見せたかったらしい。
白い肌に、ほんのりと桜色に染まった唇が愛らしい。
無邪気に笑うその姿は、女というより少女のいでたち。
俺が黙って杯を上げて見せると、弥生は一度俺の視界から消えた。そしてすぐに、庭に入ってきた。
これが合図。庭に入ってきて、縁側に座れという合図だ。
なんだか俺と弥生だけに通じる秘密の暗号みたいで、面白いと思う。
「お花見ですか、もうすっかり春ですね。時がたつのは本当に早いです」
「弥生も女らしくなった…… が、まだ子供だな」
「まあ、成安さんたら」
頬を膨らめてそっぽを向く、その仕草が子供っぽいのだと弥生は自覚していないようだ。
俺は黙って杯に酒を注ぎ、透明な清酒を一気にあおる。
「お酌しますよ」
「ああ」
実はこの申し出を待っていたりした。
独酌でひとりこの春の景色を見ているのもよいが、俺としては弥生に酌をしてもらって飲むのが一番良いのだ。
酒は独りでも飲めるが、酌をしてくれる相手が弥生だというなら話は別だ。
ぼんやりと梅の花を眺めながら、隣の弥生をこっそり盗み見る。
彼女は綺麗になった。ほんの二年前ぐらいまでは、ちょっと可愛いだけのただの子供だったのに。
たおやかで、春の似合う女性になった弥生。弥生はおそらく今年のうちに、藩主などからの見合いを受けて城内に嫁ぐのだろう。
ただでさえ美しいのに、弥生はこうして一人身の俺を気にかけて家に来てくれたりと、いつでも誰に対しても細やかな気遣いを欠かさない。
独り暮らしの俺にとって、いつしか弥生の存在は大きくなっていた。
弥生が頻繁にうちに来てくれるようになってからというもの、俺は子供っぽいとか何とかいいつつも弥生のことを気に入っている。
「成安さんは、桜と梅のどちらがお好きなのです?」
「桜だな」
「私もですよ、成安さん。成安さんは、桜のような方だと思います」
「俺があ? いや、ないだろそれは」
こんな風に、時々訳の解らない質問を吹っかけてきては訳の解らないことを言う弥生は、俺の反応を見て楽しんでいる。
こいつ、ちょっとずつ男の扱いが上手になってきたんじゃないだろうか。
おそらく恋人でも出来たのだろう。
彼女が傍目に解るぐらい綺麗になったのは、成長したせいではなくて恋人ができたせいか。
納得したのだが、何となく心がもやもやするのは何故だろう。
ちょっと、弥生をいじめてやりたくなってきた。
「弥生、コレできたのか」
言いつつ、小指を立ててみる。こんな仕草で通じるだろうか? そう思ったが、弥生が頬を赤らめたので通じたことがわかった。
この娘の挙動は本当にわかりやすい。けれど時々、その真意が見えなくて焦る。
「い、いえ。私、殿方が苦手なんです」
小さな声で呟く弥生に、俺はちょっと意地悪をしかけてみる。
弥生を見ているとこんな風にからかいたくなるが、守ってやりたくもなる。
その華奢な体つきは、夏の夕立に遭えば吹き飛ばされてしまいそうなほどだ。
「ふうん、意外だな。その割りには、俺のところには殆ど毎日来るだろ」
「それは、成安さんが」
「何。俺がおっさんだからか? 大方、お前の基準ではおっさんは殿方に含まれないんだろう」
「いえ、そのようなことは。それに成安さんは、まだ十分お若いですよ」
弥生は下を向いて赤くなる。
もっとからかいたいが、これ以上はかわいそうなのでやめておく。
代わりに弥生へ杯を突き出して、酒を酌むよう視線で促す。
弥生は杯に気づき、徳利に手を伸ばした。華奢な白い手は、同じように白い陶製の徳利を掴む。
少し俯いた彼女のうなじは白くなまめかしい。
そして徳利に注がれる彼女の視線は、優しく柔らかい春の日差しのようだった。
「弥生。もしこれから、良家からの縁談があったら受けるか?」
何気ないふりをして訊ねながら、弥生は見ずに梅の木を見た。
梅の木で戯れる二羽の目白が、のどかな日差しの中で心地良さそうに鳴いている。
絵になる景色だ。この景色に、弥生を入れたらもっと良い。
「まあ、野暮なことを。私は、縁談など受けません。成安さんの傍で、こうしてお酒を酌むことが何より楽しいのですから」
柔らかな声に振り返ってみれば、伏せた目をゆっくり上げて俺を見る弥生と目が合った。
俺は弥生を真っ直ぐ見返して、それからふっと笑う。杯を持っていないほうの手で、そっと弥生の肩を抱きながら。
ちびちび酒を飲みながら、縁側で寄り添って春の景色を眺める。
となりに寄り添うのは、優しくしおらしい娘。良家の縁談より俺の隣にいることを望む、この娘の何といじらしいことだろう。
同じ縁側で暖かな春の陽気を感じながら、同じ梅の木を見るしあわせ。
美しいものを一緒に見て、それだけで心が通じ合える関係というのもなかなか乙なものだ。
休日の贅沢が、また一つ増えた。
終。
和風を書きたくなりました。
新美南吉のやわらかい童話を聞いてから、書きたくなっていたものです。
日本=風情! 趣!
ということで、すきだの何だの言わなくても心が通じ合う、そんな趣のある日本人を描きたかったんですが……
成安さんただの一般人って感じがします(え
二人の年齢差は十一。水島の好みである年上を過剰に反映しています(笑
ここまで読んでくださってありがとうございました!!
07/03/01
もどる