それはまるで魔法。煌く美しい幻想のように、僕の心を捉えて離さない。
僕はあなたの、文字の魔法に魅了された。
そして偉大なる魔法使いであるあなたに、本当に憧れている。
“文字の魔法”
僕は高校に入学して、すぐに部活に入った。文芸部があるから、僕はこの高校に入学したといっても過言ではない。文芸部、それは僕のために在るような部活。小説を書いて、本を読んで、まったりする部活。
この学校の文芸部は、部活っていうよりただのお遊びに近い。けれど、中には本気でプロを目指している人もいる。そのひとりが、僕の尊敬する桐野先輩だった。
桐野先輩は、部長をやっている。僕が文芸部に入部したのはただ文章を書くのが好きだったからというだけだけど、桐野先輩は違った。
いつでも文章を書いていたい。日々自分を磨きたい。寝る間も惜しんで高まりたい。もっと、もっともっと上に。毎日、桐野先輩はそんな強烈な向上心を持って生活しているんだ。
好きとかそういう次元の問題じゃなくて、桐野先輩にとって小説は自分の一部みたいなものなんだろう。
「先輩、原稿用紙持ってきました」
三年生の桐野先輩は、部室からほとんど出ない。僕はまあ、先輩の給仕みたいなものだった。資料やら原稿用紙やら、そういうものを先輩のために運んでくるのが僕。入学してから三ヶ月経った今、既にこのポジションには僕の独占権がはたらいていた。
資料室から持ってきた紙の束を抱えて、いつものように先輩を呼ぶ。先輩は顔を上げて、にこりと微笑んだ。
桐野先輩は、後輩思いの良い先輩だ。けど、時々きつそうに見える眼差しが人を寄せ付けないようだ。
切れ長の目に、シルバーのフレームの眼鏡。ひょろりとした長身で、髪は真っ黒で整髪料もつけていない。一見しただけで、真面目で誠実で、そのくせ頑固な性格が解ってしまう容姿だ。小柄で地味な僕は、先輩といると嫌な意味で目立つ。
「ありがとう、そこおいといて」
先輩はそういうと、再び執筆に没頭し始めた。そんな先輩の横顔は怜悧で凄く憧れるけれど、僕は何となくつまらなかった。
他の部員がいないんだ。今日は、留学生の歓迎会で皆かり出されてしまったから。まあ、僕らにも召集はかかっていたんだけど。僕と先輩だけは、先生達の目を上手くごまかしてサボっている。
「今度は何の話ですか?」
声をかけると、先輩はシャーペンを置いた。そして、大きく伸びをしながら首の骨を鳴らした。結構長い間、先輩はこうして原稿用紙に向かっていた。だからだろうか、ちょっと疲労がたまっていそうに見える。
「展開どうしようか悩むところだ…… 純愛なんだけど、だんだん黒くなってきてる」
「先輩、恋愛ものなんて書くんですね」
「想像でしか、ないけどな」
憂鬱そうに微笑して、先輩は僕を見た。
そう、先輩は恋をしたことがない。小説のことしか頭になくて、女の子にいくら話しかけられても無視してしまうことが多かったらしいから。興味がないわけじゃあないんだろうけど、先輩にとっては最優先にもってきたいのが小説のことなんだ。
「リアリティに欠けるんだ、どうしても」
「じゃあ先輩、誰かに恋すればいいじゃないですか」
「無理言うな、広井」
やっぱり? 却下されてしまった。
先輩の文章は、とても煌びやかで美しい。そこにあるのは、流れる水のような爽快感。風に揺れる花のような、可憐さ。
先輩の文章を例えるなら、それはまさしく魔法だ。先輩には魔力があるんだ。僕はいつもその魔法のとりこになって、先輩の文章に引き込まれていく。
「先輩の小説は、魔法です」
魔法だ。幻想だ。だから、先輩の文字は浮世離れしている。美しすぎて、清すぎて、この汚い現代を表しているとは到底思えないんだ。
「じゃあ、広井の文章は科学だ。心理描写や情景描写が足りなくて、無機質だから」
「科学と、魔法ですか。混ぜてみたら、どんなものが出来上がるんでしょう」
僕が先輩の魔法に科学を継ぎ足してしまったら、きっとつぎはぎだらけで汚らしいものができそうだけど。僕は『科学者』としては小学生レベルで、小説なんか遊びで書いてる人間だから。
「……やってみるか」
「え?」
「共著、してみるか」
一瞬僕は、耳を疑った。偉大な魔法使い…… もとい、尊敬できる先輩。彼にそんな誘いをかけられるなんて、思っても見なかった。
僕なんかが先輩と一緒に文章をつづってしまって良いんだろうか。僕なんかが、先輩の理想郷に踏み入ってしまって良いんだろうか?
「僕は」
「言っていなかったとは思うけど、俺は広井の世界観が好きだ」
「先輩、僕は…… 先輩の将来に繋がる時間を、僕のせいで無駄にしてほしくはないんです」
俯いた僕の頭に、先輩の華奢な、しかし大きな手が乗っかった。低体温で、冷え性で、先輩の掌は僕の頭から熱をちょっと奪う。
「無駄にはならないさ、広井。君なら、いい相棒になる」
「え?」
顔を上げれば、先輩の優しい微笑がそこにあった。僕は一瞬言葉を忘れて、先輩の微笑に見入っていた。
「一緒に、小説家になろう」
先輩と一緒なら、きっと凄い作品が書ける。僕はそんな凄い作品を、書いてみたい。確かにそう思っている。
僕の小説に対する想いが、遊びから本気に代わった瞬間だった。
「はい」
頷いた僕を見て、先輩が無邪気に、本当に嬉しそうに笑った。
ある晴れた、三月の日。
「広井ー、原稿まだかあ」
「すみません先輩、あとちょっと!」
僕らは、東京都にいた。先輩はすでに成人していて、僕は十八歳。
昨年新人賞に応募して、僕は先輩と共著した作品で賞を貰った。共著作品が賞をとるのは初めてらしく、僕らは様々なメディアから注目を浴びた。
初めて賞をとった作品は、続き物。だから僕らは今日まで、その長編小説に魂をそそいできた。
その最終巻の締切日が今日。僕はいつもより気合を込めて推敲して、玄関のドアを開け放った。外にはであった頃より更に背が伸びた先輩がいて、僕を見て相変わらず楽しげな微笑を浮かべている。
「先輩、できました。最終巻、チェック終りです」
「よし、じゃあ今日は直接本社行くか。行くぞ、相棒」
胸を張って言えば、先輩は楽しげに笑った。そして、僕が差し出したメモリースティックを嬉しそうに握り締めた。
僕らは、魔法と科学を上手く融合させることができたようだった。けれどそれは、先輩の魔法でどうにかしてもらったというのが正しいような気が今でもする。
けれど。
「僕らの話、楽しみにしてくれる人がいるんですよね」
「そうだな、広井。俺たち、もっと頑張らなきゃな」
「次回作、どういうのにします?」
「次回は君が中心に考えてくれ。今回の作品とは、全く別の色でいきたいから」
通りを歩きながら、僕らは次回作の話で盛り上がった。デビュー作が、今終わる。沢山の読者さんたちの目に触れる。きっと、誰かの心を動かせる。
「先輩にあえてよかったです」
先輩に出会ってよかった。小説家になれてよかった。最終巻までこぎつけることができてよかった。
―――僕らの最初の物語は、ここで終わる。けれど、僕ら自身の物語は始まったばかりだ。
これが、今作の一番最後の文。僕と先輩で考えて、最後の最後に付け加えた文だ。僕ら自身の、今の気持ちと同義。
これからきっと、僕らは沢山の困難に立ち向かわなくてはならなくなる。けれどもそんな時、僕は先輩に出会ったあの高校と、この作品を思い出すだろう。
“文字の魔法”
これが僕らの、最初の物語。
END
親友RUIのサイト名、文字の魔法。それを小説にしてみました。
あたしはタイトルから連想するイメージで小説を書く人です。
作中の桐野先輩も、そんなタイプって設定です。
駄文ですが、お読みくださってありがとうございました!
またこんな風に、突発的に短編を増やしていきます。
07/03/18/
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