明焔は朝から研究に打ち込んでいたし、セルジはバイトが忙しく、ノーチェとハビはそれぞれ仕事で研究所を空けている。
そんな、ある日のこと。
偶然、部屋に彼と二人きりになってしまった。
蜂蜜色と午後の研究室
嫌な事態になった。
何だか気まずい。
隣には、つややかな蜂蜜色の髪をした丸眼鏡のレンティーノ。
彼は自分より四歳ほど年下だが、身長は六センチほど高い。
二人きりになると、どうも居心地が悪くなる相手だ。
間に明焔が居れば話ができるのに、二人になったとたんに会話が成立しなくなる。
レンティーノは同じ部屋にマーティンがいるということを全く気にかけていない様子で、ソファに深く腰掛けて本を読んでいる。
マーティンはというと、そんなレンティーノの隣に座ってぼうっと前方を眺めているだけだ。
なぜか彼と一緒にいると、部屋を出て行くのさえいけないような気がしてくる。
何となく、彼には非礼を働いてはいけないような気がしてくる。
「マーティン」
うわ。話しかけてきた。一体何と返せば良いのだろう?
そこまで考え、これだ、とマーティンは思った。
話しかけられて何を返せば良いのか解らなくなることが、二人から会話を奪っているのだ。
そしてこれは、対処のしようがないことである。
「聞いていますか?」
「あ? ああ、聞いてる」
いつのまにかレンティーノは本を読み終えていたのか、分厚い本を机に置いてマーティンを見ていた。
綺麗な白い肌に、透き通った蜂蜜色の瞳。
こいつは女としてやっていっても大丈夫だと言いたいところだが、なぜか女性的に見えないのが不思議だ。
骨格の特徴が女性的ではないからなのだろうか?
「貴方は今、何を考えているのですか?」
そんなことを言われても。
お前女らしいくせに男らしいなとか、そう言ったらレンティーノが一体何と返してくるのか。想像も出来ない。
「お前は」
「私ですか? 人の心が読めるようになれたらどうなるのでしょう、と」
レンティーノは綺麗な微笑を浮かべて、ちらりと本に目を落とす。
どうやら、先ほどまで彼が読んでいた本にそんな内容が書かれていたようだ。
「俺の考えてることだけは、読むな」
言いながら、少し怖気がした。
レンティーノに心を読まれたら一体どんなことになるのか。
大いに失望され、大いに笑われそうで嫌だ。
『貴方はこんな人間だったのですね』
レンティーノが哀れむように言う声が聞こえた気がして、マーティンは目を閉じて心を落ち着かせた。
「安心してください、マーティン。貴方の心は覗きたくありませんから」
それはどういう意味なのだろう。
もうどんなことを考えているのか大体解っていると、レンティーノはそう言いたいのだろうか。
「覗くのでしたら、ハビが良いですね。彼は、何を考えているのか解らないときがありますから」
「ああ、俺もそう思う。あいつは自分の内側を簡単に出さねえからな」
今になって初めて、レンティーノと共通の話題を持った気がする。
マーティンはそれに驚いていたし、少しほっとしていたりもした。
これから約二時間は誰も暇にならないので、ここにいなけらばならない。
だから、ずっと無言でレンティーノと顔をつき合わせているのだけはどうにも我慢しがたいことだった。
レンティーノと話していると、年下と話している気にならない。
それが、何となく心地よかった。
「明焔の心は、読むまでもありませんね」
そういうレンティーノがにこりと笑ったので、マーティンはいつもどおりの皮肉な笑みで応じ、
「ああ、同感だ」
などと答えてやった。
レンティーノは頷きながらソファの上で足を組み、天井を見上げる。
その優美な顔立ちに似合う、彼の柔らかで優しい声。
それは、優しいといえど確かに男性のものである。
マーティンの声は男とも女ともつかないような中性的な声だから、マーティンは自分の声が本当に嫌いだった。
だからといって、レンティーノの声が欲しいかといえばそうではない。
しばらくのあいだ沈黙が降りるが、最初に感じたほど重苦しいものではないような気がする。
「レンティーノ」
沈黙を破って声をかけると、レンティーノはマーティンの方を振り向いた。
そして、柔らかな声で答える。
「何ですか、マーティン?」
優美で紳士的なレンティーノに、マーティンは一番してはいけない質問をした。
「お前、まだ童貞か?」
いつか明焔にした質問。
彼にこう言ったら一体どんな反応をするのだろう。
顔を真っ赤にして『不謹慎です』と口走るか、無視を決め込むのか。
マーティンがにやりと笑ってレンティーノを見ると、レンティーノはにこりと笑う。
意外に冷静なその反応に、マーティンの方が少し引き気味になってしまう。
「いいえ、違いますよ。もう十九になりますし」
その言葉に耳を疑った。
マーティンが思うに、レンティーノはこの研究所で一番の女嫌いだ。
それが、どうして。
「はあ?」
思わず頓狂な声を上げると、レンティーノは声を上げて笑った。
呆然とするマーティンの視線を受けながら腹を抱えて笑い、レンティーノは笑いすぎて出た涙を指でぬぐいながら言う。
「そう言ったら、貴方はどうしますか?」
なんだ、はったりか。
そう思うと同時に少し苛立ち、少し意外に思った。
レンティーノもこうやって人をからかって遊ぶのか。
よく考えると、マーティンはレンティーノのことを深く知らなかった。
「撃つぞてめえ」
そういうと、レンティーノは乱れた髪を手で整えて眼鏡をかけなおしてマーティンをちらりと見た。
「猥談がしたいのですか? 知識ならありますから、その気になればできますよ。ですが、マーティン……」
「や、遠慮しとく。いい、しなくて。やめな」
レンティーノの言葉をそれ以上聞いてはいけない気がして、マーティンは自分から振った話なのにそこで話題を切った。
何というか、レンティーノには微妙に拒絶のオーラを出していた。
それ以上話を続けられたら、こちらが追い込まれそうな雰囲気だ。
彼は何となく、ハビと似通うところがあるような気がする。
今のように、やんわりと遠まわしに拒否するところが特にそうだ。
言葉の上では肯定しているように見えて、本心では実は否定しているような、そんな感じだ。
「それが正論ですよ。そんな会話、下品ですから」
下品という言葉が出る辺り、自分が話しているのが貴族階級の青年なのだなとマーティンは勝手に納得する。
別に、貴族だからといって彼が特別な教育を受けたわけでもない。
それなのに、一般の人間と彼との間には微妙な壁があるような気がする。
そして思う。
マーティンは、レンティーノが言うところの『下品』が凝り固まって出来た人間なのだろう。
「マーティンは、いつもそうやって人をからかって遊んでいるのですか?」
「まあな」
「面白い人ですね」
いやいや、違うだろう。
心の中で突っ込むが、あえて口にしない。
普通、ここでもっと違うことを言わないだろうか?
マーティンはてっきり、彼に『ふぅ、全く子供ですね』なんて呆れられるのかと思っていた。
「今日は貴方と話せて楽しかったですよ。また話しましょうね」
ひらりと軽い動作で立ち上がりながら、レンティーノは言った。
時計を見ると、まだ一時間ほど暇な時間がある。
しかし、レンティーノには仕事が入っていたようだ。
「……ああ」
返事を返すと、レンティーノは研究室を出て行った。
後には妙に白けた空気と、レンティーノが読み終わった本が一冊残る。
マーティンはその本に手を伸ばして最初の数項を読む。
とてつもなく難解な本だった。
すぐに読むのを放棄し、マーティンはそれを勝手に枕にした。
結局マーティンはレンティーノについて知ることが出来たのか、余計にわからなくなったのか、自分でどちらなのか掴めずにいた。
「ハビはいつ帰ってくる?」
呟いた質問に、答えるものはない。
マーティンはレンティーノが居た場所に足を伸ばした。
一人きりで使うと、ソファはこんなにも広い。
分厚く硬い本を枕に、マーティンは眠りについた。
「あれ、マーティンどこ?」
「第六研究室ではないでしょうか、先ほどまでそこにいましたから」
明焔がマーティンを探しに第六研究室という小さな部屋に向かってみると、ソファに横たわる青髪を見つけた。
本を枕にして、マーティンは気持ち良さそうに寝ている。
白衣を着て、腕時計もしたままで。
明焔はにこりと笑い、自分の白衣を脱いでマーティンにかけてやった。
いつだったか自分が寝てしまっていたとき、同じ事をハビにしてもらったからだ。
明焔の白衣はマーティンの身体をすっぽりと覆える大きさではなかったけれど、ないよりは良いだろう。
部屋から出ると、レンティーノは明焔を見下ろして首をかしげる。
「白衣はどうしたのですか?」
「マーティンに貸してあげた。寝てたから」
レンティーノの質問に答えると、彼はにっこりと笑う。
「そうですか、明焔は優しい方ですね」
「そんなことないよ」
たったこれだけのことを、手放しで褒めてくれるレンティーノ。
明焔は少し照れながら笑い、レンティーノを見上げた。
そして、単純な興味を持って訊ねてみる。
「ねえ、今日はマーティンと何の話してたの?」
とたんに、レンティーノの表情が固まった。
END
落ちが微妙〜〜〜、
これは、「マーティンの前では余裕なレンティだけど明焔に弱い」ってことなんです!
レンティーノとマーティンって全然話がないじゃないですか。
幻影でも、唯一の会話シーンではレンティーノが軽くスルーされてますし(ヲイ
互いの会話に互いの名前は出てくるものの、そんなに親しげな話はしてないというか。
特にマーティンが、レンティーノに若干の苦手意識を持ってるっぽい感じで。
でもマーティンって孤独なくせに友好的っぽいから、レンティーノのことも何度かからかったことがあるんじゃないでしょうか。
あー、なんか凄いや。
本当、これ勢いで書き上げちゃいましたよ(笑
06/10/23/
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