いらっしゃい。ようこそ、カフェ・ロジェッタへ。
珈琲にする? それとも紅茶がいい? 焼きたてのマフィンもあるよ。
閉店時間なんてあってないようなものだから、ゆっくりしていってね。
そうだ、今日は新しいお客さんの話でもしようかな。
毎日同じ場所にいるからといって、見えてくるものも同じだというわけではない。
曜日によって来る客は大体決まっているし、新しいお客さんもよく遊びに来る。
その日最後に出会ったお客さんは、小柄で無愛想な男の子だった。
Welcome to the Cafe Rogette!
今をさかのぼること数ヶ月前。昨年十二月の、ある土曜日のこと。店内に静かに響いているジャズに、僕は何となく耳を傾けていた。
もう閉店間近な六時半。いつもなら、ここで僕とゆっくり話していきたいというお客さんが残っている。けれど、今日は特別寒くて天気も悪いから、皆早々に帰ってしまった。
そろそろ閉めてしまおうか。そう思って、立ち上がった時のことだった。
「……どうも」
ドアを静かにあけて入ってきたのは、あまり愛想が良いとは言えない男の子。
この辺りでは見かけない東洋系の顔立ちをした男の子は、銀縁の眼鏡の奥で僕をじっと見つめていた。
「いらっしゃい」
微笑を浮かべて言いながら、すばやく彼を観察する。年齢は大体、十四歳か十五歳ぐらい。小柄で前髪を両分けにした男の子は、その細身を黒い衣服に包んでいる。
全体的にハイセンスで、孤高な感じがする男の子だった。だけど、その孤高な感じの裏に寂しさもあわせ持っているような、そんな感じがした。
「外、寒かったでしょう」
「ええ」
気さくに話しかけると、少し戸惑った様子で彼は頷いた。
カウンターに載せられた彼の指は血色が悪く、女性の指のように細い。
「温かい珈琲下さい。バテリアかそれに近い味の」
言葉の後に、ぼそりと「甘めで」なんて、聞き取りにくい声で呟く彼。
カップを戸棚から出しながら振り返って、
「甘党?」
訊ねると、彼は頷いた。そして彼は、じっと店内に流れるジャズに耳を傾ける。
東洋系の顔立ちは幼く見える傾向があって、まさしく童顔の東洋系である十九歳が身近な人間の中に一人いる。
言わずと知れた、若社長。彼と目の前にいるこの男の子は、東洋系であるという点では共通している。
しかし同じ東洋系とはいえ、明焔と彼はまた違う国の人間なのだろう。
「誰かを待ってるの?」
「待つ人なんていません。僕にかかわる人なんていませんから」
「悲しいこと言うね」
「悲しくなんて。ずっと独りだったから、今更人と関わろうとも思いません」
その割には、よく喋る子だ。
人と関わりたくないのなら、そもそも喫茶店になんてこないだろう。
彼は実を言えば、暗い奈落の底で誰かが救い上げてくれるのを待っているのではないだろうか。
「僕もね、小さいころは独りだった」
微笑みながら言えば、彼は怪訝そうに顔を上げた。そんな彼を見下ろして、ちょっと昔の話をしてみる。
小学校低学年ぐらいの時の話。それは僕の最も暗い過去であり、生きる意味をまだ見出せていなかった時代のこと。
「身長も平均より結構高かったし、目つき悪かったし…… まあ、怖がられてたのかな」
だって、裏の人格で先輩を殴ったりもしたしね。おかげでたくさんの人に迷惑をかけた。
あのころの僕はいつも独りで、寂しく登下校していた。高学年にあがるころにはやっと友達ができたけど、僕はそれでも悩んでばかりだった。
「今は独りじゃないんですか?」
僕が頷くと、彼は黙り込んで神妙な顔つきで何か考え始めた。
僕には、僕を必要としてくれている人が何人かいる。たとえそれが一人でも、百人だとしても変わらない。僕を求めてくれる人がいる。だから僕は、生きているのが楽しい。
「こうやって客商売をしてると、お客さんと仲良くなったりもするしね。それに、僕には世話の焼ける弟みたいな友達が何人かいて」
「へえ……」
彼は難しそうな顔をする。本当に友人がいないんだろう。
僕は今更だけど、この孤独な少年の名前を知らないことに気づいた。
「何て呼べばいいのかな、君の事は」
「英樹って呼んでください。貴方のことはマスターとお呼びしても?」
「構わないよ。名前で呼びたければ、ハビって言ってくれて構わないけど」
名前を覚えてもらえれば、その人には大概もう一度会いにきてくれる。常連さんになることもある。
僕はこの孤独な、どこかミンイェンみたいな少年を放っておけなかった。
救ってあげたいと思った。彼を、奈落の底の暗闇から。
英樹は僕に、次第に色々な話をしてくれるようになった。
いいにくそうに、学校に入ってからずっと苛められ続けていることも話してくれた。
僕はそんな英樹に相槌を打ちながら、時々質問をした。
「君はそのままでいいの? もっと快適な生活、したくない?」
「したいけど。でも僕は、たぶん一生このままなんだ」
彼の口調も大分砕けてきているし、僕にちょっとは信頼を置いてくれてることは確実なんだけど。それでも彼が頑固で悲観的なのはずっとそのままだった。
この子には、誰か逃げ場になってくれる人が必要なんだ。この子は今、とても孤独なんだ。
真っ白な研究室でたった一人で泣き叫んでいたミンイェンに、近い状態だから。あの時僕がミンイェンにしてあげたように、僕は英樹の専属カウンセラーになってあげたい。
「僕でよければ、いつでも話を聴くからね。君に逃げ場を作ってあげたいんだ」
「ありがとう、ハビみたいな人は初めてだよ」
その後も僕らは、他愛無い話を続けた。閉店時刻はとっくにすぎていたけれど、僕も彼も特に気にすることはなかった。
やがて英樹は席を立ち、コーヒーの代金を置いて玄関に向かった。本日最後のお客さんだから、見送ってあげることにする。
英樹は雨空を見上げ、大きな黒い傘を差して軒下から出た。僕はそんな英樹に手を振ってやる。英樹は肩越しに僕を振り返って、やわらかな笑みを浮かべる。
「またくるよ、ハビ」
そういって雨の中に消えていった、小さな背中。身体に不釣合いな大きな傘を持って、彼はどこかへと帰っていく。
彼は今や、大事な常連さん。
英樹が来るから、僕は毎週土曜の閉店間際がとても楽しみなんだ。
END
『ようこそ、カフェロジェッタへ』シリーズです(笑
第一作目は、紺碧とのコラボ。宮川英樹とマスター・ハビの出会い編。
英樹の隠れ家喫茶が、閉店間近のカフェ・ロジェッタなんです。
いいですよね、隠れ家喫茶!!
文中の「バテリア」とは、珈琲の銘柄です。
カフェ・ロジェッタといえば、ヴェロッツァ・ティーかバテリアなんですよ!!(力説
本当は結構苦めで香り高い珈琲なんだけど、英樹的にはそれを激甘にするのがお気に入りっぽい(笑
次回作は何にしようかなあ。
07/03/24/
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