いらっしゃい、今日は生憎の雨だね。風邪ひかないように、暖まっていって。
こんな雨の日には、よく来る人がいるんだ。
今日はそんな、雨の日の常連さんを紹介するよ。
Welcome to the Cafe Rogette!
雨の日になるたび、この店にはある特異な常連客がやってくる。
ドアの開閉と共に鳴るベルの音に顔を上げれば、見慣れた彼がそこにいた。
「いらっしゃい」
「おはようございます、ハビ」
雨の日には真っ黒い傘を差して、彼はわざわざ歩いてやってくる。
普段は研究所で暇になったときに遊びに来る程度。だけど彼は、雨の日には必ずここに来る。開店直後から、閉店時刻までずっと。
朝は晴れていても夕方から雨が降るときなんかは、雨が降り始めるのと同時にここにいるんだ。
レンティーノは、僕の特異な常連客であり親友。なおかつ同僚でもある。
「雨ですね」
しみじみと呟く彼は、どこか楽しそうに窓の外を眺めている。
彼にはアンティークなこの店がとてもよく似合うと思う。現代人のくせに、彼からは現代らしさが欠落しているのかもしれない。
古臭いという言い方もできるけれど、彼は古風でスタイリッシュな人だ。古めかしいのに洗練されていて、研究所にいても違和感が…… ううん、ちょっとあるかも。けれど、物凄く相容れないというわけでもない。
「そうだね。君は雨が好きなんでしょ?」
「ええ。窓がない研究所より、窓があっても広すぎる屋敷より、貴方のようなマスターのいるカフェで雨を楽しみたいと思いまして」
優しい声で言いながら、レンティーノは僕を見た。僕には、時々彼がひどく脆弱に見えるときがある。柔和そうに見えて芯の強い彼だけど、寂しがり屋の一面を持っていたりもするからね。
「ゆっくりしていくと良いよ。仕事、持ってきたんでしょ」
洗い終わったグラスを拭きながら僕は笑う。
店内は静かで、レンティーノのほかにはお客さんがいない。
レンティーノはずれてきた丸眼鏡をくいっと上げて、持っていた鞄に手をかけた。
「ここでさせて頂いても、よろしいですか?」
鞄から薄型のノートパソコンを出して、レンティーノは言った。
「勿論だよ。珈琲にする? それとも紅茶がいいかな」
「今日は紅茶にしておきます。ヴェロッツァ・ティーでお願いしますね」
「解ったよ。今日も閉店までここに?」
「ええ、そうさせていただきます」
紅茶を淹れるついでに、チーズケーキも出してやった。この店にきてレンティーノが最初に注文したのは、チーズケーキと紅茶だったことを思い出す。
「ありがとうございます」
レンティーノは本当に嬉しそうにそういって、フォークを上品に使いながらケーキを食べ始める。浮かべているのは、まさに至福の笑み。レンティーノは食生活はヘルシーなのに、好物は甘いものばかりだったりする。
「今日の仕事は?」
「C蘇生術の研究です。数式を証明するのが主なのですが、ざっと三百くらいありまして」
半分近く食べたケーキの皿に、フォークを置きながら彼は言った。紅茶に口をつけて目を伏せる様子は優雅で、儚く見えた。最近、彼にも疲労が溜まっているのだろう。
「それは大変だね。C蘇生術は確か、理論上最も有力だったはずだけど」
「そうなのですよ、ハビ。ですが、生物学的観点から行くとC蘇生術でも絶対の保障はできないのです。もっとも、C蘇生術が正しいという証明だってできないかもしれませんし」
喫茶店で『会社』の話。こんなことは、いつもはあまりしない。けれど今日は周りにお客さんがいないから、こんなことを話していても不審に思われたりしない。
「それでも、君はやるんだね」
「ええ、少しでもミンイェンの役に立ちたいですから」
当たり前じゃないですかとでも言いたげな態度に苦笑しながら、茶葉の瓶に手をかける。
彼は本当に、努力を惜しまない人だ。いくら無謀な問題でも、それがどんなに沢山あっても、一問ずつ地道に一生懸命解いていこうとする人だから。
レンティーノはパソコンで複雑な計算を解きながら、ふと顔を上げて窓の外を見る。
「……雨ですね」
「そうだね」
さっきと同じ会話。
「ミンイェンが寂しがりますよ」
そういう君が寂しそうだよとは、言えなかった。
彼は今、きっとミンイェンのことしか考えていない。
「リィシュイは、雨が好きだったらしいからね」
「父さんも雨が好きでした」
雨好きな薄命たちを思って、ミンイェンは俯くだろう。そしてそんなミンイェンを思い、レンティーノは寂しそうな顔をする。
本当はレンティーノだって、雨が好きなのに。彼はミンイェンのことを思うと、素直に心を落ち着けられないのだろう。
「雨なんか、もう降らなければいい」
殆ど独り言のような呟きは、いつもの丁寧な口調ではなかった。何となく投げやりな、いつもの優雅さの消えた口調だ。
「でも君は、雨が好きなんでしょ?」
「大切な人を悲しませるような雨は、大嫌いです」
伏せた目をティーカップに向け、レンティーノは小さくため息をついた。そんな彼を見ていると、いつもの必要以上に大人びた彼の態度がぶれる。
本当はまだ誰かの庇護が必要で、でもそんな救いを差し伸べる大人が周りにいないから、彼はいつだって無理に大人のふりをする。
今年でようやく二十歳になる彼は、十分に周囲の助けを借りることができずに今まで生きてきた。それは僕が一番良く知っている。今までレンティーノとずっと一緒に生きてきた唯一の大人はもういないけれど、二番目に長く一緒にいた人間は僕だから。
「はい」
既に発信中の携帯電話をレンティーノに渡せば、レンティーノはきょとんとした顔でこちらを見上げる。
「きっと止むよ。研究所の屋上から、虹が見えると思う」
ほら、そろそろミンイェンが出るから。
そんな視線を彼に送れば、彼はくすりと優美に笑う。荒んだ雰囲気はもう消えて、本当にいつもどおりのレンティーノがそこにはいた。
この切り替えの速さは、今までに哀しいことがありすぎた彼の生きる術なのだと最近は思う。
「ありがとうございます、ハビ」
何に対してありがとうなのか。深くは追求しないことにするけれど、レンティーノのことだからきっと携帯を貸したことについてお礼を口にしたわけではないだろう。
僕は黙って、微笑を浮かべて頷いた。レンティーノも微笑んで、電話に出たミンイェンにいつもどおりの優しい声で雨止みを告げる。
「ほら、ミンイェン。雨があがりましたよ」
にこやかに窓の外を見ながら、レンティーノはくすくすと笑う。電話の向こうのミンイェンが嬉しそうな明るい反応を返して、喜んでいる声がこちらにまで聞こえてくる。
ほら、雨があがった。虹も見える。
きっとまた雨は降る。けれど、そのたびに雲間から差す光を見つめて、また頑張ろうと思えるようになればそれでいい。
「ハビ」
携帯を返してくれながら、レンティーノは静かに呟いた。
「なに、レンティーノ?」
「私は、これで良いのですか?」
意味深な質問。
恐らくは、塞ぎこんだり荒んだりする自分を責める、半分は自分に向けた質問。
答えのない質問、終りのない道、きっとそんなものばかりがレンティーノの中にはある。けれど、僕はそれで良いと思う。
悩みもある、自己嫌悪だってする。けれど、それら全てで今のレンティーノが構成されているのだ。なら、できればこのままでいるのが一番だから。
「いいんだよ。それが君だから」
今度こそ、レンティーノはいつもどおりに笑った。
それきり会話は途切れても、決してそれがぎこちなくなるわけでもなくて。
僕の雨の日の常連さんは、大切なものを色々抱えた苦労人。
僕にとって彼は弟らしくない弟で、大切な仲間であり親友だ。
END.
今回、ちょっとシリアスになりましたね(汗
レンティーノにとってハビは親友兼兄らしくない兄兼カウンセラーさんです。いつか胃潰瘍で入院するんじゃないかってほど、ハビは色んな人の悩みを親身になって聞いてやってるんです。
次回はもっと、明るくいきたいな。
07/06/09/
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