Sherry in Wonderland.-2-
森への道を歩く途中、エルフ達に見られたが特に何も言われなかった。この世界ではシェリーの存在が知られていないようだった。知り合いだったはずの人間が、誰もシェリーのことをしらないのだ。
「この先にあるんだ、僕の家」
「森の中?」
「そう。雲の生育に適してる環境なんだよ」
「すごい」
なんだろう、このメルヘンチックなノエルは。メルヘンチックな癖にやっぱり論理的だ。
「野生の雲が時々大雨を降らすけど、それ以外は僕が天気をコントロールしてる。国主催のサッカー大会の日は必ず晴れるように仕組まなきゃいけないから大変だよ」
野生の雲。何でおかしな響きだろう。そう思った直後にあまりに普通すぎる単語が出てきたことに少し驚く。
「サッカー?」
国民的スポーツとして盛んだとか、そういう理由なのかもしれない。もしかしたら、女王はクライドの近辺の誰かだろうか? サッカーというとクライドがすぐに出てくる。
「半年前に女王がクリケットからサッカーに変更したんだよ。ルールが簡単で面白いからって」
「それ、いつやるの?」
見に行けばクライドや、もしかしたらグレンに会えるかもしれない。そんな期待を胸に、シェリーはノエルに訊ねてみた。するとノエルは苦笑して、ポケットに手を入れて時計を出しながら空を見上げる。
「一昨日もやったし、先月も五回くらいやった」
「なにそれ」
「女王は何においてもアバウトだからね。ちなみに、国民は全員強制参加。僕は天気屋だから除外されるけど、仕立て屋は毎回ぼろぼろになって帰ってくるよ。かなり野蛮な競技らしいね」
「野蛮……」
ぼろぼろのレンティーノが容易に想像できてしまって少し怖くなる。クライドは常にフェアプレーだから心配は無いと思うが、ここはなにやら色々なことがおかしい。競技中に殴り合い、なんてことだってありえなくはないのだ。
「そろそろ時間だから急がないと。走れるかい?」
「あ、うん」
先ほどから時計を気にしていたのはそのためだったのだろう。ノエルは小走りになり、シェリーを振り返る。シェリーが走り始めるとノエルも速度を上げた。
ノエルの走る速さはそんなに早くはないはずだったけれど、今ここにいるノエルは物凄い俊足だ。ありえない。そう思いながら追いかけるが、ノエルとの距離は開くばかりだ。
「ノエルっ、ちょっと待って」
時計を気にしながらどんどん走っていってしまうノエルに、シェリーの声は届いていなかったようだった。彼はあっという間に何処かへ消えてしまい、シェリーは森の中でひとりぼっちになった。
「どうして? 何でグレンもノエルも、走るの早いの……」
前者は当然だとしても後者が困るのだ。
この奇妙な世界では、誰でも超俊足ランナーになれるらしい。ただし、迷い込んだシェリーを除いて。
ため息をつきながら、その辺りの草の上に座り込む。見渡す限り緑色で、どちらが村なのか全くわからない。完全に深くまで迷い込んでしまったようだ。元来た道も解らないし、シェリーは途方に暮れた。
「……誰か」
助けを求めたのなんて久しぶりな気がする。
「グレン」
常に出てくる彼の存在が、今はない。泣きそうになる。
静か過ぎる森の中で、シェリーはどう帰ればいいのか全く解らなくなっていた。
グレンに会いたい。ノエルに戻ってきて欲しい。クライドやアンソニーはどこにいるのだろう。レンティーノは天気屋を訪ねてくる途中にシェリーを見つけてくれたりしないだろうか。
「おい」
「え?」
声をかけられ、顔を上げるとそこにいたのはマーティンだった。やはり時代がかった古い服装で、チェックのズボンに白いシャツだ。肘のあたりまで袖は捲ってある。
「てめえ、何だ」
マーティンは現実世界とそんなに相違がないように見えた。服装以外はいつもどおりだし、侵入者に対する発言もどこまでもマーティンらしい。『誰』ではなく『何』。モノ扱いなのだ。
ただ、そんなマーティンもタバコの臭いのかわりに甘い香りがした。気のせいだと思うが、そこだけ不自然である。
「道が解らなくなっちゃって。ノエルの後ついてきたんだけど」
「ふうん。きな」
「きなって、どこに?」
「俺の家だ、チッ。どの道、今てめえを送ってくなんてことになったら面倒なことになる。仕立て屋の野郎につかまってサッカー大会に強制参加だからな」
「マーティン、サッカー大会出ないの?」
「てめえ、俺に勝手に名前をつけるな」
どこまでもマーティンらしいマーティンに辟易する反面ほっとする。崩壊するマーティンなんて見たくはなかった。馬鹿丁寧にお茶を勧められたらきっとシェリーは恐怖で震えが止まらなかっただろう。
「じゃあ名前は?」
「チッ。てめえから名乗れ」
「シェリー」
「マルチェ」
おお、と思う。三月だからマーチだろうかと思っていたが、読みがなんとも綺麗な響きだ。どちらかといえば女性の名のように聞こえる。
「なんか凄い上品な響き」
「だから名乗りたくねえ。仕立て屋に名前やりたいくらいだ」
「だめだよ、仕立て屋にはレンティーノって名前があるの」
「ふうん。初めて知った」
当然だ。先ほどまで、仕立て屋レンティーノに名前はなかった。
「あたしがつけたの」
「他人を名づけるの好きだな、てめえ」
えへへ、と笑ってみる。ここは笑ってごまかすしかないと思った。
マーティンはフンと鼻を鳴らし、シェリーにあわせてゆっくり歩いてくれる。この辺りはちょっとマーティンらしくないかもしれない。
「てめえは出ねえのか? サッカー大会」
「だってここにきたばっかりだし」
「はあ? てめえ、きたばっかってどういう意味だ。ここはどこへ行ったってここだ。どこへいったってサッカー大会はあるし森も広がってる」
「だって、本当に。あたしがいた世界では、マーティンは好色でヘビースモーカーで短気な色々とサイアクな奴だったよ」
「チッ。てめえ狂ってやがる。意味がわからねえ」
狂っているのはどちらだろう。
もうシェリーは、自分が正常なのかそれとも毒されてきたのかわからなくなっていた。
長らく歩いていれば、家らしきものにでくわした。
そう、家と断言できない。あくまでそれは家『らしきもの』だ。
「これって、家?」
「家以外の何なんだ」
可笑しいではないか。屋根に砂糖菓子がふりかけられ、壁がビスケットでできているなんて。ドアはチョコレートのようだったし、ドアノブの白は焼メレンゲにそっくりだった。
こんなファンタスティックでメルヘンな家にマーティンが住んでいるとはあまり考えたくなかった。けれど、最初に会ったときに不自然な甘い香りがしたことに、ようやくここで納得した。
「ねえ、これって本物のお菓子?」
「菓子以外の何に見える」
家だろうか。いたって真面目にそんなことを考え始めたシェリーの思考回路はやはり毒されているのかもしれない。
「食べてみていい?」
毒かもしれないとか、そういう考えは全くなかった。純粋に好奇心だ、どんな味がするのか知りたい。
「一口だけだぞ。ドアはやめとけ、ビターだ」
当たり前のようにそう言われ、シェリーはおずおずと家に近づく。窓枠にはめ込まれていた色とりどりの砂糖菓子のうち、ピンク色の立方体を取ってみる。小さなひとかけだ。
「内装も菓子だ」
「じゃあ内装も一口」
「チッ、食いすぎんなよ」
立方体の砂糖菓子を小さく一口齧ってみる。さくりと口の中で溶け、甘い味が優しく広がる。
「美味しい、甘い」
思わずそういうと、マーティンはいつもどおり意地悪そうな笑みを浮かべる。
「レシピは教えない」
「え、これってマーティンが作ってるの?」
「ああ。……マルチェよりマーティンの方がしっくりくるな。それ採用だ」
「本当? やった!」
だんだんシェリーは、この世界に迷い込んだ自分の使命が、友達(ではない人もいるが)に正しい名前を与えることなのではないかと思い始めてきた。
シェリーは上機嫌で砂糖菓子を食べ、甘い香りに思わず笑う。
「ほら、入りな」
「おじゃまします」
内装も本当に菓子だった。テーブルはラムネ菓子でできていたし、ミルクチョコの壁には、色とりどりのジェリービーンズが歪んだタイルのように並んでいる。よく子供が食べているような渦巻状のカラフルなキャンディーが、観葉植物の代わりとばかりに鉢にささっている。鉢はやわらかなマシュマロだ。
「甘い匂い……」
「おい、そこの飴は食うな。俺のだ」
「嘘、このペロペロキャンディー?」
思わず笑いそうになる。ここでのマーティンは、タバコの代わりにキャンディーをくわえているらしい。どこまでメルヘンチックなのだろう。
「天井はキャラメル」
「冷蔵庫、砂糖菓子?」
「かまどはビスケット」
「じゃあ、そこの金魚鉢は飴細工で、中に入ってるのはラムネゼリーとストロベリーキャンディーの欠片?」
「その通りだ。配色いいだろ」
なんて身体に悪そうな家。これでマーティンがいつもどおりの痩せた身体なのが凄い。こんなに砂糖尽くしの家に住んでいたら、それだけで太りそうである。
ふと見れば、ベッドまで菓子で出来ていた。体温で溶けそうな綿菓子の布団を、薄いクレープ生地でできたシーツで包んである。枕も淡いブルーのマシュマロをクレープ生地で包んだものだ。ちょっと寝心地が良さそうだと思ってしまった。
「すっごい」
「てめえには解ってるな、この家のよさが」
シェリーはラムネ菓子のテーブルへ案内され、クレープ生地でカバーをかけた砂糖菓子の椅子を引いて座った。マーティンは少し機嫌が良さそうな顔で、砂糖菓子の冷蔵庫を開けて中からプリンを出してきた。
「生クリームとフルーツを乗せて、プリン・アラモードも作れる。食うか?」
「そうして!」
「待ってな」
調理場はホワイトチョコで出来ているようだった。マーティンがプリンを飾り付けている様子がよく見える。堅焼きのプレッツェルで出来たスプーンを見ながら、シェリーはマーティンの鼻歌を聴いていた。
どうやらグレンの曲らしい。どうしてマーティンが、大嫌いなはずのグレンの曲を鼻歌で奏でているのか解らなかった。
「ねえマーティン、その歌、誰の?」
「ああ? これは、あれだ。白兎の」
さきほどもレンティーノたちのティーパーティーで出てきた。メイという名の白兎。メイとは、つまり五月のことだ。まさか、とシェリーは思う。
「詳しく聞かせて。白兎って誰なの?」
シェリーには五月一日生まれの素敵な彼がいるのだ。白いスーツを着た彼が脳裏をよぎる。まさか、彼のことではないだろうか。
「あのクソ忙しい何でも屋だ。チッ。歌は奴の趣味だ」
「白いスーツの?」
「そうだ。会ったのか?」
「うん、その人を追ってたら穴に落ちて、気づいたらこの世界にいたの」
「ふぅん」(え、反応それだけ?)
シェリーは不服に思う。けれど、これで一つの情報がまた手に入った。あの白いスーツをきたグレンに、グレンと名づけてあげなければ。
「ほら、出来たぞ」
「あ、ありがとう」
生クリームの甘さは丁度良く、フルーツの大きさも手頃だった。シェリーはプレッツェルのスプーンで、プリン・アラモードを食べきってしまう。
「器とスプーンも食っていいぞ」
「え? いいんだ」
器は砂糖菓子でできていた。少し硬かったが、甘くて美味しい。美味しくてついつい全て食べきってしまう。
最後にプレッツェルのスプーンを食べ終えると、マーティンは楽しそうに笑う。
「ありがと、美味しかった!」
「てめえ、なかなか良い奴だな。スウィーツの良さを解ってるなら、それだけで人生が彩りを増す」
「だよね! 疲れてるときには甘いものが一番なの」
「しばらくゆっくりしていきな。サッカー大会なんざ、面倒なだけで利益は何もない」
この甘い匂いのするマーティンにそういわれると、何だか本当にそんな気がしてきた。現実世界に帰ったら、マーティンが今までと少しだけ違って見えそうだ。
と、可愛らしいベルの音がした。レストランのテーブルに備えてあるような、小さくて優しいベルの音だ。
「おっと、来客だ」
マーティンは立ち上がり、ドアを開けた。シェリーもつられてそちらを見ると、思わずぎょっとした。
「あれれ、女の子? マルチェ、いつのまに彼女なんか作ったの?」
戸口に立っているのはアンソニーだ。しかも、なぜか王宮の騎士団のように薄い金属で出来た鎧を纏って、腰には細身の剣を差している。黒い布を額に巻きつけ、首からはお守りらしき銀色の十字架を提げていた。いつもより、ちょっと強そうである。
「今日からマーティンだ。マルチェはもう古い」
「へえ、いい名前! ねえねえ、マーティン女の子嫌いなんじゃなかったの?」
女嫌いのマーティン?
そんなものは想像が出来なくてシェリーは目を見開いて固まる。
「いいや、こいつは別だ。この家の良さを解ってる」
「そんなこと言って、実は好きになっちゃったりしたんでしょ」
けらけら笑いながらアンソニーは家に上がりこみ、シェリーの隣に腰を下ろす。
「君、名前は?」
「シェリー」
「僕はオクトーバー=フォース。フォース家は代々騎士団の長をつとめる強者ぞろいなんだ。僕もそのうち、団を率いることになるんだよ」
そうか、この騎士団の格好は『4th』と『Force』にかかっているのか。
「その細い身体で?」
「そう。ムッキムキになると身体が重くて動きにくいしね。見た目的にあんまり好きじゃないから、鍛え方はそこそこなんだ」
身体を鍛えるアンソニーが想像できない。だいたい、戦うアンソニーがまず想像できないのだ。
「ねえ、アンソニーって呼んでいい?」
「えー、なんか弱そう」
隣でマーティンがくすりと笑い、『また始まった』とシェリーを見る。けれどもシェリーは気にしなかった。マーティンに笑みを返し、アンソニーを説得しにかかる。
「弱くなんかないよ、あたしの知ってるアンソニーは優しくてとっても強い人だった」
意思の強い、勇気のあるアンソニー。グレンと一緒に研究所まで自分を探してくれたということが、シェリーの胸を熱くさせた。
「そのアンソニーって人、シェリーの彼氏?」
純粋に疑問を覚えたらしく、アンソニーがそう訊ねてきた。シェリーはゆっくりと首を横に振る。
「違うよ、あたしの彼氏はグレンっていうの」
「グレン? それって、メイのこと?」
「え?」
今、最もあってみたい人間がメイという『白兎』だった。彼の呼び名はメイと白兎しかないはずで、グレンに既に名前がついていることにシェリーは驚いていた。
「グレンってのは、奴の芸名だ。アーティストとして活動する時にはメイとは名乗らねえ」
隣でマーティンが言い、タバコの代わりにキャンディをくわえてこちらを見ていた。何だかそんなマーティンが可愛く思えてきて、シェリーは思わず笑う。
「ねえ、アンソニー…… メイの家に連れて行ってくれる?」
「いいよ! じゃあ今からいこう? マルチェ、じゃないや、マーティン。シェリー借りてくね」
アンソニーは席を立ち、さりげなくテーブルの隅のほうにおいてあったチョコレートを齧る。
「ああ、だがすぐ返しな」
苺味らしいキャンディを口に入れたまま、マーティンはひらひらとシェリーに手を振った。シェリーは椅子から立ち上がりながら、マーティンに手を振り返す。
こんなマーティンなら好感が持てるのに、現実世界のマーティンはかなり性格が荒んでいる。それだけ少し残念だ。
「勿論! じゃ、行こうか」
アンソニーに手を引かれ、シェリーはマーティンのお菓子の家を後にした。
08/10/05/
おかしなマーティン編。
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