Sherry in Wonderland.-7-
ぐんと空を裂く感覚。怖かったけれど、グレンを見失いたくなくて目は閉じなかった。
グレンがすっとシェリーの真下へ動いた。そしてその暖かい腕で、シェリーをしっかり抱きとめてくれた。と思ったのもつかの間で、シェリーはまた奇妙な感覚に襲われる。
抱きとめられた安心感で目を閉じていたが、何だか妙に体がふわふわする。
そして、眩しい。白い眩むような光が、瞼を通して伝わってくる。
「……グレン」
不安になって呟いた。不意に暖かい手が耳の辺りに触れた。
思わず目を開ける。間違いなくグレンがそこにいた。
「何か怖い夢でも見てたのか? なかなか起きなかったから心配したぞ」
大きな手でシェリーの髪をなで、グレンはほっとしたように笑った。
何かがおかしい。シェリーは起き上がった。
そうだ、おかしい。シェリーはグレンの腕の中へ飛び込んだはずだったのに、どうして今グレンに見下ろされているのだろう。
「あれ、あたし、どうして」
見慣れた天井と見慣れた柄の布団。ここは間違いなく、シェリーの家だった。
「外で寝てたから、家の中まで運んだんだ。勝手に上がって悪かったな」
そう言いながら、グレンはにこりと笑った。
「え、あたし寝てたの? 嘘!」
「ああ。何だよ、どうかしたのか?」
がっかりする。あんな素敵な世界があればいいなと思っていたのに、夢だったなんて。
現実世界のグレンを連れて、もう一度あの世界へ旅立ってみるのも面白いと思ったのに。クライドやサラたちにもこの話はしたいと思っていたのに。
「何で夢なの……」
「現実が不満か? なんか妬けるな、夢」
「そうじゃないの。あたし本当にこの世界に帰ってきたかった。あのね……」
シェリーは素敵ないくつもの出会いのことを、グレンに最初から全て話した。グレンは途中で席を立って二人分のココアを作ってきたりしたが、最後まで真剣に聞いてくれていた。
「へえ、それで時々苦しそうだったりしたのか」
長い指でココアのカップを支えながら、グレンはシェリーの隣に座っている。グレンの隣は居心地がいい。
シェリーはベッドの縁に座って、グレンの方に心持ち体を寄せて話していた。布団から出たら急に寒くなったけれど、今は隣に並んでいたかった。
「ずっとここにいてくれたの?」
「そう。一時くらいかな、お前が庭で寝てるのが見えて。時々うるさくない程度にギターも弾いてたから、メイの歌とかマーティンの鼻歌なんかは、たぶんそれが影響してたんだろうな」
「そんなあ……」
それでは、完全に夢だったということではないか。
けれど、シェリーは自分の枕元で優しくギターを爪弾くグレンを想像して胸が温まるのを感じた。
彼がいれてくれたココアは甘さが控えめだったが、飲めば何だかいつも以上にほっとする。
「でもさ、俺は信じるよ。お前が飛び込んだ世界にはもう一人の俺がいて、もう一人の俺がちゃんとお前のこと見ててやったんだってこと」
グレンはギターケースを引き寄せ、金具を外しながらシェリーをちらりとみやる。
「うん。メイはグレンだけどグレンじゃなかった」
「どんなところが?」
そう訊ねられて言葉に詰まった。甘い言葉をばんばん囁いたところだよ、だなんて流石にいえない。
「お、教えない!」
「何だよ」
不服そうなグレンに横目で見られるが、シェリーは彼に触れるか触れないかの距離を保ったまま誤魔化し笑いをしてみた。
「あ、あたしね。イノセントに『世間知らずの温室育ち』って言われてすごくへこんだりしたよ」
「話そらすなよ…… 兄貴そんなこと言ったのか?」
「うん。でも、イノセントも最後にはちゃんとあたしがこっちの世界に帰ってくることに協力してくれた」
そっか、と呟いたグレンは少し嬉しそうだった。そして、中途半端に残っていたココアを飲み干してからギターを取り出す。
「そういえば、アンソニーの乗ってた羊ってどれくらいだ?」
「これくらい」
丁度ベッドの高さと同じくらいだったので、シェリーは高さを示して見せた。グレンはギターを抱えながら笑い出す。
「小さっ! 乗れたのかよ二人で」
「うん、平気だった」
「お前ら二人小さいからな…… でもなんか、ノエルとレンティーノは凄くそれっぽいな」
「そうだね、うちにいたのはびっくりしたけど」
グレンは慣れた手つきで弦を弾く。ギターが入ると少し窮屈だったので、仕方なくグレンから微妙に離れた。
「新曲は『wonder land』で決定だな」
「嬉しい。そうしたら、またメイたちに会うとき、一緒に歌うよ」
「俺も連れてけよ」
「勿論!」
グレンはしばらく適当に持ち曲のワンフレーズをいくつか弾いていたが、やがて足でリズムを取り、前奏を始めた。
この曲はメイと歌ったものではなかったが、シェリーが大好きな曲だ。
「おかえり」
歌詞の一部をそう変えて歌ったグレンに思わず赤面してしまうが、シェリーは頷いた。
何だか新しい夢の世界に迷い込んだようだ。
彼はシェリーのすぐ隣で、シェリーのためだけに歌ってくれている。心の底から幸せな気分だった。
歌い終わったグレンに拍手して微笑みかけると、彼はギターをケースに入れて清清しい笑みを浮かべた。ギターをしまったグレンはシェリーにくっつくようにして座ったから、シェリーは体の右半分に意識が集中して仕方ない。
「……やっぱ、メイの方が優しかったりするのか」
ぽつりと呟いたグレンに、シェリーは微笑を返す。
「メイはメイだよ。ほんとうのグレンはここにしかいないんだから。あっちの世界でもグレンはちゃんと歌手だったし、あたしの名前と同じ花を好きでいてくれてるの。それでメイにとっては十分だし、あたしだって十分」
「んん……」
難しい顔で唸るグレンに、シェリーは小さくため息をついた。
「ねえグレン、あたしもう一回寝る」
そう言って彼に背を向け、ベッドに倒れこむ。彼は苦笑し、背後からシェリーの髪を撫でる。
「まだ三時だしな」
「えっ、三時?」
向こうの世界ではもう夜だったのに。
少しだけ体を起こして見れば、カーテンの外には気だるい午後の情景が広がっていた。
「いいよ、夕方になったら起こす」
長い指で錦糸の髪をかき上げながら、グレンはココアのカップを流しに置きに行く。
あの後、アリスはもう一眠りしただろうか。
それとも、勉強をして終わったのだろうか。
ワンダーランドに迷い込んだアリスの話はあまりにも有名だが、シェリーはその結末をおぼろげにしか覚えてない自分に気づく。
おぼろげな結末では、アリスは姉の膝でうたたねしていたという落ちだった。なら、少しだけそんな結末に甘んじてみるのもおもしろい。
うつぶせの姿勢から若干上体を持ち上げて、ちょっと無理な体勢でグレンを振り返る。
グレンはシェリーを覗き込み、シェリーの腰ぐらいの位置に軽く腰掛ける。
「どうした?」
「グレン、膝枕してよ」
今の彼はたぶん、少しくらいのわがままなら笑顔で許してくれる。
「……膝? 腕枕じゃなくてか?」
「うん。膝枕」
「しょうがねえな…… ほら、ちょっとずれろ」
言うとおりにベッドの奥へとずれれば、グレンはシェリーの枕元に移動してくる。
シェリーは毛布をかかえ、彼の膝に頭を預ける。
彼は背後に回していた手をシェリーの肩あたりに載せた。
「で、寝心地は?」
「……かたい」
言ってみればグレンは笑った。
「でも丁度良いの」
「そうか」
しばらく二人とも無言だった。シェリーは毛布を引き上げようとしたが、それに気づいたグレンが代わって肩まで引き上げてくれた。
グレンの指が優しくシェリーの髪を梳く感じがしている。目を閉じた。
「おやすみグレン」
「ああ。置いていくなよ、今度は」
気楽に笑うグレンの声と、窓の外を飛んでいった野鳥のさえずりが耳に心地よかった。
静かな家の中にも風の音や草木の揺れる音が届いていたから、自然な静寂にシェリーはまどろむ。
今度は夢も見ず、シェリーの意識は再び落ちていった。
END.
魔幻の短編! と思って書き始めたはいいけど、なんだかもう短編っていうか長編に近くなっていました。
恋愛要素強めのパラレルファンタジー。アリスのお話は最後まで読んだはずなのに、どうしてか私は最後の場面をうまく思い描けません。
膝で寝てるアリスの頬にかかった落ち葉を、お姉ちゃんが払ってあげるっていうのは覚えてるのに。
よくファイル見てみたら、書き始めたの今年の1月ですよ!
まだ魔幻完結してないしエンタリも連載始まってないです(笑
途中でブランクがありすぎたのでこんな風になってしまいましたが、楽しんでいただけていればなと思います。
ここまで読んで下さってありがとうございました!!
08/10/05/
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